インターネット露出癖

 移行後の初記事がこれでいいのかわからんが、残しておきたいので書いておく。前提として、あくまでも創作に対する考えだと明記しておこう。

「ママに見てもらう」に違和感がある

 メインをMastodonに移したといっても、情報やコンテンツの量に関しては圧倒的にTwitterが多い。そのため今でもそのような用途で見ることがある。ただし向こうでのフォローフォロワーの関係をあれそれするのは面倒なので、基本的にリストを活用して眺めている。自分が興味のあることを中心に見ているが、それ故絵描きといった人たちの投稿をよく見かける。そんな中、少し前にこのような内容のものを見た。

「自分がネットに絵を上げるのは、頑張って描いたからママに見てもらうようなもの」

この考え方、創作者の中で結構同じような人がいるみたいだ。確かに頑張って描いたのだから、その対価は何かしら欲しいよな、うんうん。反応ないと虚無るもんな。

 しかしここで現在の自分はどうなのか考えたところ、これだと違和感があることに気が付いた。

 ママに見てもらう、つまり前提として自分以外の人が見るということを想定している。しかし自分はどうだ。この記事もそうなのだが、最近だとそもそも人が見ることを想定していない場合が多い(さすがにサイトの報告等は一応人が見る体で書いてはいるが)。自分以外の人間を想定していないのだ。"ママ"はいないのである。よってさっき上げた考え方だと違和感が残る。

結論:インターネット露出癖

 それでは自分の創作に対する考え方を1つの文にするならどうなるか。結論から言うと「インターネット露出癖」となった。

 インターネット露出癖、かなり言い方の悪いようにはなるが要は「とりあえずネットにあげておきたい。ネットにあげるのが好きだ。それ以上でも、それ以下でもない。」ということだ。

 ネット以外で例を挙げてみよう。ママに見てもらいたい人は、ママがいるところに駆け寄って創作したものを見せびらかすという構図にはなる。対してインターネット露出癖の場合、よい風景をバックにしたベンチにぬいぐるみを置き、しばらく眺めるか放置して自分はどこかに行くという感じだ。特定の状況を作り出すのが最終的な目的となる。有体に言えば自己満足である。

少しでも違和感があったら言ってみるもんだ

 話を自身と他人の意見の関係に変えよう。

 Twitterではバズった投稿を数値とともに示してくることが多いため、それを見て多数派を判断する傾向がある。少なくとも自分はそうだ。ただ、多数派の意見から「こうすることが良いことだ」という共通認識と思われるものが横行すると、少数派の人間は生きづらくなるのではと考えることがある。特に仲間外れにされたくなくて自ら意見を発しない層は、理想と安定の狭間に揺らぐことになるのではなかろうか。この揺らぎは心労に来るものがあるので健康上あまりよろしくはない。

 やはり少しでも違和感を感じたのなら自分で言葉にするのが良い。言葉にすることですっきりするし、何より意見との間に生まれる歪みから出てくる使命感に駆られることがなくなる。もっとも、他人と完璧に同意見というのはあり得ないのだから。

 今ある意見に少しでも合わないのであれば、自分なりに改造してみる……そんな世の中になったら微量なりとも気が楽になる人は増えると私は思いたい。

 

追記:更新報告のポストはどうなのよと考えたが、あれも私がやりたいからやっているだけだなと思った。記事消してもポストから投稿したことは残るし。本体が風化した後の史料みたいでええやん??

はじめに

ごあいさつ

 こんにちは、しそのはです。

 今回、技術用&今フォレストページ+にあるサイト『天球と紙片』

plus.fm-p.jp

の移転後のブログとして『天球と紙片byはてなブログ』を開設しました。しばらくの間は日常的な話はフォレストページ+で、技術系やその他の話はbyはてなブログで更新していきます。移転後は日常的な話もこちらでやっていこうと思います。

移転に関して

 冒頭で説明したとおり、フォレストページ+版『天球と紙片』を閉鎖し、新しくサイトを作成する予定です。詳しい時期は未定となりますが、多分来年の春までには行います。移転終了後にフォレストページ+、byマストドン、byはてなブログにてURLの案内をしますのでよろしくお願いします。

連絡について

 基本的にbyはてなブログのコメント欄は閉めておきます。何かご用がある方は、マストドンのアカウントがある場合は

angraecumnote.net

こちらにお願いします。それ以外の方は

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からDMでご連絡ください。

 

 今回はここで終わります。どうぞ、よろしくお願いします。